2023を振り返りたいと思う。
とてもとても大変な一年となった。
フロントエンドとしてデビュー
ずっと目標としていたフロントエンドとしてのスタートを切ることができた。
これはとても大きな出来事だと思うのだけど、転職活動にも疲弊していた私は「よっしゃやったるで!」というよりも「とりあえず、とりあえず、やってみよう」というような静かなスタートだったと記憶している。
JSを勉強してきていたし、できるはず、、とは思っていたものの、不安の方が大きかった。
私は通用するだろうか。もしかしたら、「きつい、歯も立たない」といって逃げ出しはしないだろうか。とそんな自信のかけらもなく今の現場をスタートさせた。
今の現場では、店舗・ECサイトで商品の受注販売・買取等をしている企業向けへの基幹システムの開発に携わっており、フロント実装を担当しています。Vue/Nuxt/TypeScriptが主に使用してる技術となります。
今の現場を始めた当初
私はJSだけ勉強してきていて、フレームワーク類は一切触ったことがなかった。
初心者でも大丈夫です、と言われていたし、JSの延長線上だと思っていたのだけど、甘かった。全くわからない。
今の現場は、「とりあえずやってみてください〜、わからなかったら聞いてください〜」というようなスタンスだったので、初日からVueに触ることになったのだけど、もちろんやったことないので何もわからない。
「v-ifって、、computedって、、なんぞ、、」
言われたタスクは大したことないはずなのに、何もアイディアが湧いてこない。
そんなスタートだった。
これはまずいってなって、急いで参考書買ってきて(本気の無勉強で挑んだ自分もひどい。。!でもやってる時間もなかった)、その日教わったことや、わからなかったこと、使ったメソッド、とにかく見て聞いて読んで調べて書いて、、実践に入っているから、勉強している時間なんて明らかに足りないのだけど、とにかくトライアンドエラー、やるしかなかった。
幸い、今の現場の先輩たちは面倒見もよく、聞いたらすぐにアドバイスしてくれるような現場でそれは恵まれたなって思うし、初っ端から触らせてくれるのはありがたいことだった。
こんな出来損ないが来てしまい、さぞ迷惑がられているであろうかと思ったけど、周りの人からすると馴染むのが早かったそうで。
今でも覚えているけど、初めてのPRはサクッと提出することができた。それは塾でのgitの経験があってこそだったと思う。
とうとう実践でPRを出すことができたのは感動的だった。やっとここまできたのだと感じた。嬉しかった。
椎間板ヘルニア
今の現場に入ってすぐに、慢性腰痛の私はぎっくり腰を発症。しかし、今の現場は慣れるまでは毎日出社してほしいと言われていたし、実際のところリモートでサクサク作業ができるわけもなく、すぐに先輩に聞けたり、自分の状況を報告しやすいのもあって、痛みも我慢し毎日出社していた。
そのうち良くなると思っていたのだけど、ぎっくり腰は坐骨神経痛に発展。なんだか、歩くと痛い。。歩けば歩くほど、痛い。なんだこれは。
それが我慢強さ・意地っ張り・強がりで弱いところを見せることができない、私の性格が相まって、無理に無理を重ね、気づいた時には、痛みで一歩も歩くことができなくなっていた。
その時初めてこれはやばいってなって、実はかくかくしかじか病院に行かせてくださいとリーダーに告白したところ、「痛かったの!?全然気づかなかった!」と言われるくらいにそれまでの数週間普段通り振る舞うことができていたらしく、自分相当我慢強かったんだなって実感した、本当は痛みで死にそうだった。
そんなこんなで病院で検査をしたところ「あなた腰にすごいものを持ってるよ」と言われる。教科書で見るようなお手本のような椎間板ヘルニアのMRI写真を見せられた。びっくりしたけど、「やあああっっぱりね!!!だってこんなに痛いんだもん!!!」と、病名がわかったことで心から安堵した。本当に死ぬほど痛かった。
初めてのフロントエンド、初めての開発業務、わからないことだらけ、コードを読んでも珍紛漢紛、そして、腰から足にかけての激痛。あの数週間はそれらが重なって、心の底から辛かった。あの歩けなくなった日、その数週間を思い返し、痛みも相まって、涙が止まらなかった。あー私辛かったんだなってなって。本当無理したらダメだと学んだ。
それはそうと、病院へ行くのも一苦労、10歩歩いて座り込むを繰り返していた私に「大丈夫ですか、助けいりますか」と声をかけてくれた道端の人々。世の中捨てたもんじゃないな・・とそれも泣けた。ありがとうございました。
ヘルニアが判明したことで、フルリモートへ切り替えて仕事を振ってくれた会社へも感謝でした。こんなとき、この仕事だったから休まず仕事できたなと思う。例えば体を使う仕事だったら、完全に職を失っていただろう。
案件の雲行きが怪しくなる
自分の携わっている案件が遅れに遅れていて、上の人からのメスが入り、穏やかムードが一変、ピリ付きムードとなる。まだ参画して3ヶ月目あたりのことだった。
リーダーたちは毎日のように上の人に進捗を報告するMTGを設けられ、進みが滞っていると怒号が飛び交った。その声が聞こえるたびに背筋は凍りつき、ヒヤヒヤした。私たち下の者たちがうまいこと進捗を上げることができないことでリーダーが怒られてしまう。まだ初めて数ヶ月、できなくても当たり前なのだけど、それでも結果を求められていたのは肌で感じる。
「結果を出さねば」気持ちに火が付いた。
自分の持っているタスクは必ず期日までにPRを出す。
時間を決めて、それまでに解決できそうでなければ質問、アドバイスを求める。
期日を守れそうでなければ、早めに報告し、どう対応するか相談する。
当たり前の話なのだけど、自分なりに意識して取り組むことを決めた。
開発業務を始めて数ヶ月、できることもあるけど、できないことのが全然多くて、まだまだ先輩へ質問しないとPRにこぎつけないことは多々あった。しかし、実装の方向性やこうやったらできるかもねというようなアドバイスがあれば、全体のイメージは湧き、効率良く進めることができたので、先輩のアドバイスをうまいこと活用させていただいた。ここまではできるけどここからがわからないというような、質問の内容も大事だったのではないかと振り返る。
大前提として、自分のミッションはコードを動かしてPRを上げなければならない。
しかしそのためになんでもかんでも聞いてしまえば、それは先輩の時間を奪うことになるし、自分の力にもならない。質問するタイミングの見極めは大事だったように思う。
それらを意識して行うようにしていたら、「期日までに必ずPRあげてくれる人」というような印象を持たれた。
実際は期日を守れなかった時も大いにしてあったけど、こういう理由で滞っていると伝えたり、難しいタスクの場合は先輩に都度質問できたからであって、自分は特に大した動きはしてない気はするのだけど、自分のできること・できないことを判断して、早めに行動に移す。そういう姿勢が伝わったのかもしれない。
毎日22時まで働いた、そして人の入れ替わり
案件が炎上してくると同時に自分達の働く時間がどんどん長くなっていった。夜の22時まで働くのはザラで、23時、終電とどんどん帰りが遅くなっていった。そこから半年、22時前に帰れた日はほぼなかった。それでも私たち下の者は土日は休ませてもらえていたし(たまに休みの日も働いたけど)、なんとか頑張っていたのだけど、リーダーたちは土日も働いていて、ある日とうとうリーダーが倒れてしまった。
ここからの3ヶ月は戦場だった。
まだまだ残っている課題たちをリーダー不在の中実装していかなければならなかったのだけど、やったことないことばかりでとにかく躓きまくる。でもアドバイスを求められる人がいないから自分で調べるしかない。
そこまではいかに効率良くPRを上げるか、を考えていたけれど、その時はとにかく目の前の課題をどう解決するか。時間もないけど、動かないことには話は始まらない。今ある知識をいかに使って、また、足りてないところは補って。動かない時は持ち帰って、家や電車の中で知識を仕入れていった。こんなふうなことやりたいけどできるか?アイディアを2,3見繕って、試してダメならどうしよう、、となったけどなんやかんや動かすことができた。それなりに時間もかかるけど、なんとか形にできてしまった。その頃のコードを見ると、よくこんなの思いついたなと思う。綺麗なわけじゃないけど、ちゃんと動いてる。人間追い込まれるとやれるんだと実感する。大変だったけど、相当鍛えられたと思うし、成長したと思う。
配列操作
この時のことを思い出すと、JSの基礎があったことが大きかったのではないかと思っている。特に配列操作はやはり使う場面が多く、役に立った。Vueの知識ももちろん大前提で必要だと思うのだけど、それよりもJSでできることを知っていたから、このメソッド使えばこれができるからそれを使ってこの形を作る、とか。
女性が強い現場
入った当初に面倒を見てくれていた先輩は12歳年下の女性の方。右も左もわからない私に手取り足取り教えてくれた方で、年下とは思えないくらいしっかりしていて優秀で、周りを引き上げる力のある頼り甲斐のあるお方。途中別案件に移るということで不在となりとても心細かったのだけど、案件が炎上しすぎて年末に救世主として戻ってきてくれた。やはり話をしてるととても勉強になるし、行動力は誰よりもあるし、現場の空気が変わる。こんな人になりたいと思わされる。
私たちフロントエンドチームをまとめてくれているPM(実際には肩書きは違うのだけど)の方も女性で、この方もとても心強く頼りになる人材。リーダーが不在となった後、私はサクサクとPRを上げられるわけではなかったけど、常に相談に乗ってくれたし、上の人からのプレッシャーもある中で冷静にまとめてくれていたと思う。
そして、バックエンドチームのリーダーも女性。この方がまた優秀で。仕事が早すぎて心強すぎるし、バックエンドの知識0の私が毎度珍紛漢紛な質問を投げかけても、いい感じにまとめてくれて、とても助かった。(ただ、働きすぎなのが心配だ)
それぞれ違った強さを持った人材だけど、心から尊敬している。
一緒に仕事ができてよかったし、自分ももっと精進しなければと思わされます。
そして最後までぎっくり腰
年末に最後の最後でぎっくり腰をやってしまう。イチミリも動けなくて辛かった。
ぎっくりに始まり、ヘルニア、コロナ、そしてぎっくり。
2024年は健康第一で過ごしたいと思っています。
腰に関しては背筋・腹筋・尻筋のバランスが悪いから腰に負担がいっていると言われたので、体幹を意識した筋トレをしっかりやりたいと思っています。
プライベートでの出来事は
2023年始めたマウスピース矯正も無事完了、とうとう今年はインプラント埋め込み。
あとは、残業代稼ぎまくってお金が貯まったので、引っ越しした。
6年も同じおんぼろアパートに住んでいたのでやっとこさ脱出。マンションになったし、オートロックだし、9階だし、買い物はすぐできるし住居レベルが上がり嬉しい。家賃は上がったけど、そのくらい払えるようになったのは自分の年収上げられたなという実感につながって、モチベーションになる。
前の狭い部屋では置けなかった作業机を新調した。念願の昇降デスク。そこそこいいやつ買った。腰も痛いので椅子もいいやつ買った。いい作業スペースができて心から嬉しい。
2023の反省点は
勉強習慣を途絶えさせた。というのも、日々の業務で一杯一杯だった。勉強といえば勉強なのかもしれないけれど、週末は業務のコードを読んだり、わからないことを潰したり、詰まったところのアイディアを練ったり。あとは、とにかく平日が全力疾走なので、土日は廃人と化していたし、休まないと平日走れなかった。
2024はサボりまくっているTypeScriptの学習を再開させる。Vueでなんとなく使っている技術も自分で言語化してアウトプットしとかないといけないと思いつつ出来なかった。あとはReactに触り次に繋げたい。
プライベートでは、体調不良が多かったので(なんせ働きすぎ)、もう少しワークライフバランスを整えたい。それで気づいたのが、周りに合わせすぎて無理する傾向があるんだなと気づいたので、今年はもっと自分に正直にいたいと思う。ストレスに感じる事柄からはなるべく離れる、自分が居心地いいと思う時間を大切にする。
まとめ
変動の多い一年となった2023。めちゃくちゃ働いたあ。。
でもその切羽詰まった状況で相当鍛えられたと思う。追い込まれたからこそがむしゃらになれた。
今年はその経験をもとに、また新しい方向に進んでいきたいと思います。1日1日を大切に。